スター・ウォーズ×仏教②|正義はなぜ暴走するのか

目次

はじめに

前編では、ジェダイの掟と初期仏教の教えの違いについて書きました。

簡単におさらいすると、このような対比になります。

  • ジェダイ:ネガティブな感情はダークサイドにつながるとして、否定・抑圧する。
  • 初期仏教:苦しみや感情はあって当然のものとして認め、執着に気づいて手放す。そしてどちらの極にも偏らない「中道」を重視する。

前編では、この違いが私自身の「心の整え方」にどうつながるかを書きました。

今回の後編では少し視点を変え、ジェダイという組織そのものが持っていた「構造的な問題」について考えてみたいと思います。


ジェダイの構造的な問題

崇高な理想を持っていたジェダイ。しかし、心理学、脳科学や仏教の視点から見ると、組織としての構造に、シスより危うい側面があったと私は感じています。3つの点から考えてみます。

① 選択できない入団システム

ジェダイは、フォースの才能を持つ乳幼児を、幼いうちに親元から引き離して育てます。そこには本人の意思――「選択」はありません。

才能が基準に満たなければ農場へ、オーダーに従わなければフォースを封じて追放。一方のシスは、大人になってから自らの意思で選びます。良し悪しは別として、そこには「選択」があります。

乳幼児期に親元から引き離し、「愛着(アタッチメント)」を形成させないまま「全銀河を平等に愛せ」と説くのは、心の仕組みからみて極めて困難なことのように思えます。ジェダイの危うさは、個人の人権を「大義」の犠牲にしたこと、そしてそれを正当化したことにあるのかもしれません。

② 感情抑圧が生み出す構造的な危うさ

前編で、感情を抑圧するほど苦しくなることを書きました。(→前編の記事はこちら

これはアナキン個人の問題ではなく、ジェダイという組織が構造的に作り出していた問題でもありました。感情を否定し続ければ、いずれ爆発する。これはフロイトやユング、そして現代の脳科学も等しく指摘している真理です。

ジェダイにとっての感情は、いわば「火の粉」のような扱いです。本来なら、火を上手に扱って暖をとればいいのですが、彼らは「一度火がついたら大火事になる」と恐れすぎました。その結果、「火の扱い方を学ぶ」のではなく、「最初からマッチもライターも持つな!」という極端な禁止令になってしまったように思えます。

「心に蓋をして見ないふりをする」ことを強いるのではなく、「怒ってもいい、泣いてもいい。その上でどう心を整えるか」を共に考える場所であったなら、もっと温かい物語になった気がしてなりません。

③ 正義を疑わないこと

これが、3つの中で私が最も気になる点です。ジェダイ側にも落ち度があったはずですが、彼らは「ジェダイは正しく、シスは悪である」という二元論的な概念に、誰よりも強く執着していました。

ヨーダもオビ=ワンも、自分たちの正しさを疑わなかった。仏教でいえば、これは「我執(がしゅう)」――自分の考えへの執着です。自分たちが光の中にいると盲信するあまり、自らが生み出している「影」に気づけなかった。これは、真実が見えていない状態、すなわち「無明(むみょう)」であったと言えるかもしれません。

「自分は正しい」と確信した瞬間、人は他者への想像力を失い、排除の論理に走ります。ジェダイ・オーダーが滅びたのは、シスが強かったからではなく、ジェダイが「自らの正義を疑う勇気」を失ってしまったからではないでしょうか。


アナキンが体現した「真の中道」

皮肉なことに、最後にフォースのバランスを取り戻したのは、最も深く闇に堕ちたアナキンでした。彼はジェダイとしての「過度な抑圧」と、シスとしての「過度な暴走」の両極を、誰よりも苦しく経験しました。

最終的に彼を動かしたのは、教条的な正義でも野望でもなく、息子を救いたいという「慈悲を伴う愛」でした。彼は「光か闇か」という二元論を超えた場所で、一人の父親として行動しました。その瞬間に、初めてフォースのバランスが取れたのです。

アナキンは「正義」に戻ったのではありません。「正義も悪も超えて、ただ一人の人間(父親)」に戻った。それこそが、身をもって「中道」を示した瞬間だったのではないでしょうか。


正義の危うさ

スター・ウォーズの世界では、双方が自分たちこそが正しいと信じて戦っています。これは、現実の戦争とも重なります。自分がシス(悪)だと思って戦う人はほとんどいません。多くの場合、自分たちこそがジェダイ(正義)だと信じて戦っています。

しかし、自分が正義だと信じているときほど、人は残酷になれることがあります。「これは正義だ」と決めた瞬間、メタ認知は働かなくなり、敵は「倒すべき記号」へと置き換えられてしまうからです。

自分の信念を疑うことは、しんどいことです。でも、相手にも相手の事情があると、少し立ち止まって考える「余白」を持つこと。それだけで冷静さが戻り、最悪の事態を避けられる可能性が上がるのだと私は信じています。

戦争体験者の言葉と次世代へ

以前、戦争を経験されたご高齢の御婦人たちの言葉を聞く機会がありました。

「相手にも相手の事情がある」
「自分の正義を相手に押しつけてはいけない」
「子どもたちを犠牲にしてまで戦う理由なんてない」

静かに、しかし強い言葉でした。

二度と繰り返さないという強い意思が、日本が長い間、大きな戦争を経験せずにこられた背景にあると、私は思っています。

戦争を経験した世代は、少なくなってきています。

その言葉を直接聞ける機会も、少なくなっています。

日本には、自然と共存し、異なる文化や信仰を否定せず、柔軟に取り入れてきた感覚が根づいていると感じています。

その感覚が、「相手にも相手の事情がある」という視点につながっているのかもしれません。

この視点を、次の世代に繋いでいけたらと思っています。

おわりに

ジェダイの掟、初期仏教の教え、そして戦争体験者の言葉。そのすべてが、同じことを問いかけているように感じます。

「あなたは、自分の正しさに執着していないか?」

私自身、日々揺れながら生きる未熟な存在です。それでも、相手の事情を想像する余白だけは、忘れずにいたいと思っています。

最後になりますが、これほどまでに豊かな知恵を一つの叙事詩に編み込んだジョージ・ルーカス氏の素晴らしさを改めて感じます。銀河規模の悲劇の解決策を、軍事力ではなく「一人の人間が自分の心とどう向き合うか」という精神性の問題に帰結させたのは、本当に天才的な業だと思います。ジョージ・ルーカス氏に、心からの感謝を伝えたいと思います。

※本記事の内容は個人の体験および一般的な知見をもとに執筆しています。医療・心理的な判断については、専門家へのご相談をおすすめします。

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この記事を書いた人

ブログ「心音」の管理人、こはくです。看護師・保健師・養護教諭の資格を持ち、介護・対人支援の現場に10年以上携わってきました。自身もADHD傾向による生きづらさを感じてきた当事者です。
また、家族を見送る経験を通じて深く悲しみと向き合い、グリーフ専門士の資格を取得しました。
現場で出会ってきた方々の姿と、脳科学・心理学の学びを重ね合わせながら、自分とやさしく向き合うためのヒントを綴っています。

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