【後編】DNAが語る人類の旅——『日本人になった祖先たち』を読んで

※本記事は、日本人のルーツを歴史・DNA・心理学から考えるシリーズの一部です。
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目次

Y染色体だけが示す、不思議なズレ

前編で触れた「三つのデータのズレ」について、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

このズレを読み解く前に、少し整理しておきたいことがあります。
私たちの体の中には、ルーツをたどるための「二つの家系図」が眠っています。
ひとつは母から子へ女系のみで受け継がれるミトコンドリアDNA——「お母さんの家系図」です。
もうひとつは父から息子へ男系のみで受け継がれるY染色体——「お父さんの家系図」にあたります。

この二つを比べると、その集団が過去にどんな経験をしたのかが見えてくることがあります。
世界的な傾向として、征服や大規模な移動があった場合、Y染色体には支配的な集団の痕跡が強く残り、ミトコンドリアDNAには在来の集団の痕跡が残りやすい——そんな特徴があるのです。

ゲノム全体での縄文系は約10%。
ミトコンドリアDNAの縄文系は約20%。
Y染色体の縄文系D系統は約30%以上。

著者自身も「ミトコンドリアDNAやY染色体の値と比べると、10%は少し低い値のように思える」と書いています。
国立科学博物館の分子人類学者・篠田謙一さんが首をかしげるほど、このズレは不思議なものです。

なぜ父系だけ縄文系が高いのでしょうか。

一つの読み方として、縄文系の父×渡来系の母という組み合わせが多かった可能性があります。
Y染色体は父から息子へそのまま受け継がれるため薄まりにくい。
一方でゲノム全体は混血を重ねるたびに薄まっていく。
このズレそのものが、縄文男性と渡来女性が出会い、混ざり合っていった痕跡なのかもしれません。

でもこの考察、本書ではほとんど触れられていません。

なお本書では、Y染色体の大部分は機能しない配列で構成されていると指摘されています。
科学的にはそうかもしれない。
でも父から息子へ、薄まらずそのまま伝わるという特性は、他の遺伝子にはない独特のロマンがあると私は感じます。
数万年前の縄文男性の痕跡が、今も確実に誰かの中に生きている——DNAはそんな想像を静かに後押ししてくれます。


一番知りたかった一文

あとがきに、こんな一文があります。

「Y染色体の分布から見ると、大きな混乱なく渡来人を受け入れて新しい社会をつくったように見える」

読んだ瞬間、思わず「そこをこそ詳しく教えてほしい!」となりました。

縄文男性のY染色体が現代まで3割以上残っているということは、縄文男性が一定数子孫を残しながら、時間をかけて融合していったことを示しているように思います。
もし大規模な征服や強い男性支配が中心だったなら、縄文系のY染色体はもう少し減っていた可能性もある——おそらくそういうロジックなのだと思うのですが、その説明が一文だけで終わっています。

そこにこそ、縄文人と渡来人が時間をかけて同化し、日本人が形作られていく核心があったのかもしれない、と感じました。

その問いを持ったまま、以前読んでいた崎谷満さんの『DNAでたどる日本人10万年の旅』に立ち戻ることにしました。
崎谷さんはY染色体のDNA分析を専門とする医学博士で、篠田さんがミトコンドリアDNA(母系)から日本人を読み解くのに対し、崎谷さんはY染色体(父系)から同じ問いに向き合っています。

ちょうど「二つの家系図」を、それぞれ別の研究者が追いかけているような関係です。
次の記事では、崎谷さんの本から見えてきたことを書いていきたいと思います。


本書を読んで感じたこと

本書のあとがきでは、東アジアの人々はDNA的に近い存在だから、互いに信じ合おう、という言葉で締めくくられています。

人類が遺伝的に近い存在であることには、素直に納得できます。
ただ、遺伝的な近さと信頼関係が必ずしも一致しないのが現実でもあって、そこに少し飛躍を感じました。

人類の遺伝子がほぼ同じであることは、この本を手に取る人の多くがすでに知っていること。
知った上で、それでも信頼関係を築くことの難しさに直面しているのが現実です。

知りたかったのは、縄文人と渡来人がどのような背景のもとで出会い、どのように同化していったのか。
なぜ日本独自の文化や言語が生まれたのか。
でもそうした部分は十分に語られないまま、普遍的な理想へと着地していました。

篠田さんはDNA分析の専門家であって、考古学や文化人類学は専門外。
その限界もあるのだと思います。


データについて、もう少し

本書ではY染色体の縄文系D系統を約3割と記していますが、別のページでは「3〜4割程度」とも述べられています。

またD系統に加えてC1a1系統(縄文系のもう一つの古い系統)を合わせると、父系の縄文系は4割近くになる可能性もあります。
研究やサンプルによって数字に幅があり、まだ議論が続いている分野です。

また本書を通じて、科学的データを丁寧に積み上げながら、そこから社会へのメッセージへと飛躍する瞬間が随所にある。

Y染色体の多くは意味のない配列だから男系継承は滑稽、アフリカの遺伝的多様性へのリスペクトなしにはしっぺ返しが来る、DNAが似ているから信じ合えるはず——いずれも著者の誠実な問題意識から来ているのだと思います。
ただ科学書としての道筋からすると、少し唐突に感じる場面もありました。
賛否の分かれるところかもしれません。

なお本書出版後の2024年、理化学研究所の最新研究では縄文系ゲノムの割合に地域差があることが報告されています。

沖縄28.5%、東北18.9%、関西13.4%——どの地域でも10%を超えており、本書の「約10%」という数字は全国平均としてやや低めだった可能性があります。
研究は今も進化し続けています。


この本をどう読むか

「日本人の起源」として手に取ると、期待とは少し違う読書体験になるかもしれません。

縄文人と渡来人がどのように出会い、同化していったのか。
なぜ日本独自の文化や言語が生まれたのか——そうした問いへの答えは十分に語られないまま、東アジアと近いから信じ合おうという結論へと着地する。
日本人のアイデンティティを求めて読む人には、少し物足りなさを感じるかもしれません。

でも人類全体の起源として読むと、これが非常に面白い。
アフリカから始まる人類の旅、ヨーロッパ・インド・中東への拡散、そしてネアンデルタール人との混血まで、スケールの大きな人類の足跡がDNAという動かしがたい証拠で描かれています。

現代人(アフリカ以外)の遺伝子の約2%にネアンデルタール人の痕跡が残っているという事実——割合は小さくても、何億人もの体の中で今も生きていると思うと、絶滅したはずの彼らの存在が急に身近に感じられました。

篠田さんは『人類の起源』という本も書かれており、人類全体のことやネアンデルタール人についても詳しく書かれているようです。
次はそちらも読んでみたいと思いました。

そして読み進めるうちに、科学的データから時に大胆な社会的メッセージへと飛躍する篠田さんのスタイルに気づく。
次はどんなメッセージが来るんだろう、とわくわくしている自分がいた。

データへの誠実さと世界をよくしたいという熱量を持つ、篠田さんという研究者の人柄が少しずつ見えてくる一冊でした。



参考文献

  • 篠田謙一『新版 日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造』(NHK出版、2019年)

※本記事は、私というフィルターを通して書いた読書感想です。歴史・科学的解釈には諸説あります。

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この記事を書いた人

ブログ「心音」の管理人、こはくです。看護師・保健師・養護教諭の資格を持ち、介護・対人支援の現場に10年以上携わってきました。自身もADHD傾向による生きづらさを感じてきた当事者です。
また、家族を見送る経験を通じて深く悲しみと向き合い、グリーフ専門士の資格を取得しました。
現場で出会ってきた方々の姿と、脳科学・心理学の学びを重ね合わせながら、自分とやさしく向き合うためのヒントを綴っています。

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