はじめに
私はアドラー心理学が好きで、関連本をたくさん読んできました。
でも、アドラーはトラウマや無意識を否定するため、アドラーだけを学ぶと誤解を招きやすいのではないかと感じました。(過去記事 目的を決めていいのは自分だけ|アドラー心理学と子育てを考える参照)
だからフロイトとユングも知りたいと思い、河合隼雄さんのこの本を手に取りました。
フロイト:心理学の父
フロイトは心理学の父と呼ばれるだけあって、無意識、抑圧、語ることによるカタルシス、投影など、現代心理学の土台になっている概念を次々と打ち立てた人です。これらは今読んでも、日常の人間関係や自分の感情を理解するうえで本当に役立つ理論だと思います。
ただ、リビドー(性的エネルギーを人間の根源的な動力とする考え)だけは、正直なかなか共感できませんでした。
でもこの本を読んで、その背景がわかりました。フロイトが育ったのは、キリスト教が性を極端にタブー視していたヴィクトリア朝時代。親子ほど年の離れた父と母、母親からの溺愛という幼少期。臨床では、性的抑圧によってヒステリーを起こす患者が沢山いました。
「なぜリビドーにこだわったのか」という長年の疑問が、ここでやっと解けました。
また、ユダヤ人であることへの葛藤から非ユダヤ人のユングを後継者にしようとしたエピソードや、晩年ナチスに翻弄され妹たちを失い、フロイト自身はアンナとともにイギリスへ逃れました。末娘アンナのその後が気になって調べたところ、児童精神分析のパイオニアになったと知り、さらに印象に残りました。
ユング:難しいけれど、一番広がりがある
三人の中でユングは一番難しいと感じています。でも、その思想は文学・漫画・映画など、私たちの身近な場所に広く影響を与えている心理学者でもあります。
印象的だったのは、ユングが同じ事例に対して「フロイトならこう解釈する、アドラーならこう見る」と想像しながら、なぜこんなに違うのかを考えたというエピソードです。三人を客観的に見渡せるユングの視点が、そのままタイプ論につながっていったのかもしれません。
タイプ論については「完全に当てはまる人はほとんどいない、自分がどこに近いか考えること自体が大切」というユングの言葉が響きました。答えを決めることより、問い続けるプロセスを大切にしていたんですね。
ユングはまたグノーシス主義(内なる気づきによって救われるという思想)にも強く惹かれていました。「内側を見つめることで真理に近づく」というこの感覚は、神道や仏教に親しんできた日本人には、キリスト教などの一神教よりも親近感を覚える人も多いのではないかと感じました。
三人を並べてわかったこと
三人の「無意識」へのスタンスを整理すると、それぞれの個性がよく見えてきます。
フロイト
無意識を重視し、個人の抑圧された記憶や欲求が行動の源だと考えました。
ユング
さらに一歩進んで、個人の無意識の下に人類共通の集合的無意識があると考えました。世界中の神話や昔話が似たような構造を持つのはこのためだという発想です。
アドラー
無意識をほぼ重視せず、人は過去ではなく未来の目標に向かって意識的に動くという目的論を提示しました。
アドラーが一番シンプルで読みやすい。でもフロイトとユングを知ることで、アドラーだけでは見えてこない人間の奥深さが補完されていく感覚がありました。
読み終えて
三人とも、自分自身の人生や時代背景が理論の核になっていました。フロイトは父へのコンプレックスをエディプス理論へ、ユングは母との複雑な関係をアニマやグレートマザーへと昇華させました。
傷や葛藤が、人類の知恵になっていった。
私は彼らほど賢くはないけれど、先人たちの知恵を借りながら、自分の傷や葛藤を生きるヒントにしていきたいと思いました。
※本記事の内容は個人の体験および一般的な知見をもとに執筆しています。医療・心理的な判断については、専門家へのご相談をおすすめします。
参考文献
河合隼雄『フロイトからユングへ』講談社学術文庫、1999年