※本記事は、日本人のルーツを歴史・DNA・心理学から考えるシリーズの一部です。
👉 シリーズ全体はこちら|日本人の和の心はどこから来たのか
心理学から、日本文化へ
アドラー心理学やユング心理学を学んで、西洋というより日本文化に親和性が高いと感じました。特に日本文化の中に、アドラーの共同体感覚の根っこがあるような気がしました(過去記事 日本人と共同体感覚:和という根っこに咲くもの 参照)
元々古代史が好きだった私がこのことをつい調べてしまうのには、もう一つ理由があります。曽祖父が縄文遺跡の調査に関わっていたこともあって、縄文人の話は私にとって身近な話です。曽祖父はかなりの長寿で100歳を超えてもしっかりしていて、私が20代半ばまで生きてくれました。曽祖父から昔のことを聞いていたことが、日本史に興味を持ったきっかけの一つです。
これは私というフィルターを通した景色です。でも、そう感じた記録として書いていきたいと思います。
このブログは自分を知って心を整えるものですが、日本人という大きな視点で、心理学との親和性や、今後に生かせることを書けたらと思います。
まずは日本人とはどこから来たのかな、そんな疑問があり、「渡来人とは何者か?」という本を手に取りました。
日本人のルーツをたどると見えてくるもの
本書によると、私たちのゲノムのうち、縄文人由来はおよそ15〜20%前後、弥生時代に東アジアから渡来した人々由来が約25%、そして古墳時代に北東アジアから渡来した人々由来が55〜60%前後とされています。この事実を知ったとき、縄文人のゲノムが正直「意外に少ない」と感じました。しかし、気候変動で縄文末期には8万人まで落ち込んだ縄文人のゲノムが、約1億2千万人の2割弱の遺伝子として私たちの中に生きていると思うと、感慨深いです。
そして、同時に私たちのもう一つのご先祖様である渡来した人たちはどんな人たちだったのでしょうか?
この本では、渡来人たちの流れを、日本列島だけでなく中国・朝鮮半島との関係の中で丁寧に追っています。日本史を「外からの流れ」として捉え直せる点が、この本の一番の魅力だと感じました。
渡来人といっても、いろんな時代に様々な背景を持つ人々が複数のルートで渡ってきたようです。当時の技術では、日本への移動は運に任せる要素も大きく、まさに命がけ。命がけで海を渡ってきた人たちが、たどり着いた先でどのように日本人となっていったのでしょうか?文献の少ない時代なので、想像が膨らみます。
「和」はどのように生まれたのか
この現象を心理学的に捉えるならば、「どのような関係性の中で融合が起きたのか」という問いに行き着きます。それは単なる歴史の問題ではなく、人がどのように他者と関わるかという、普遍的なテーマでもあります。
著者によると、ヨーロッパや中近東などでは古代から民族間の争いが激しく、勝者が敗者を虐殺したり奴隷として従えたりする例も少なくなかったといいます。そうした地域と比べると、日本列島での受け入れ方はかなり異なるものだったと述べています。
ちょうどこの時代、聖徳太子は「和を以て貴しとなす」という言葉を残しています。様々なルーツを持つ人々が共に生きていたこの時代に生まれた言葉だと思うと、単なる道徳の言葉ではなく、当時の社会の空気そのものを表していたのかもしれません。
平安時代初期の文書には、祖先が渡来人であると自称する人々が多数記録されています。もし渡来人が差別されていたなら、わざわざ名乗るはずがない。この事実もまた、穏やかな融合があった証のひとつかもしれません。
渡来人たちは日本でどう生きたのか
後半では、雄略天皇から平安初期にかけての渡来系豪族——東漢氏・秦氏——の動きが具体的に描かれています。ヤマト王権は渡来人のリーダーに姓を与え、行政の中に組み込みました。『日本書紀』によると、百済滅亡後には百済王族を貴族として厚遇し、高句麗人は関東の開拓者として共に土地を耕したと記されています。渡来系豪族を他の豪族と同様に扱ったヤマト王権の姿勢が、随所に見えてきます。
なお、当時の朝鮮半島の状況を少し補足しておきます。私自身詳しくなかったため、読みながら調べてみました。
百済
百済は日本と最も親密な関係にあった国で、仏教・漢字・学問を日本に伝えてくれました。滅亡の際には日本が軍を送って共に戦ったほど(白村江の戦い)。その後、亡命してきた王族や貴族を日本はエリート層として迎え入れています。
伽耶
伽耶は日本の拠点があった場所で、滅亡後に多くの技術者が渡来しました。須恵器や製鉄など、当時の最先端技術を持つ人々が各地に定住していったようです。
高句麗
高句麗は大陸の最先端文化を持つ国でした。高松塚古墳の壁画にもその影響が見られます。滅亡後の亡命者は現在の埼玉県日高市周辺に「高麗郡」を設置し、未開の地の開拓を担いました。
新羅
新羅は日本書紀に戦いの記録が残っており、緊張関係にあった国です。最終的に唐と手を組んで百済・高句麗を滅ぼし、朝鮮半島を統一しました。
新羅が朝鮮半島を統一して渡来の波が止まり、日本列島の中でさまざまなルーツを持つ人々がゆっくりと混ざり合っていく——それが今の私たちにつながっていくようです。
読む上で気をつけたいと感じたこと
非常に面白い本なのですが、読むにあたって気をつけていただきたいのは、邪馬台国の位置やヤマト王権との関係については著者独自の見解が多かったです。著者は邪馬台国を九州にあり、ヤマト王権との連続性はないという立場をとっていましたが、諸説あることを念頭に置きながら読む必要があると感じました。
また、専門用語(進化などの言葉の意味)が、少し難しかったです。私は東アジアの歴史が詳しくなかったので、難しく感じた部分がありました。年表もつけてくれて、初心者にも配慮されてましたが、やはり歴史的な知識があった方が楽しく読めると思いました。
東アジアの大きな歴史の中から、日本人の成り立ちをより広い視点から考えるきっかけをくれる一冊だと思います。
読んで残った謎
東アジアの動きや、渡来系豪族の活躍は丁寧に描かれていますが、なぜ古墳時代の渡来人の人口が爆発的に増えたのか、疑問が残りました。そしてもう一つ、数で圧倒的に上回った渡来人が、なぜ少数派だった縄文人の言語・文化を受け継いだのか。通常は数で勝った側の言語・文化が残るはずなのに、日本では逆が起きています。この謎を、この本だけでは解けなかったです。次はDNAの視点から、同じ問いを読み解いてみたいです。
※本記事は個人の読書感想です。歴史解釈には諸説あります。
参考文献
武光誠『渡来人とは何者か:その正体と日本に与えた影響』河出書房新社、2024年