共同体感覚とは?|「情けは人のためならず」から考えるアドラー心理学

目次

はじめに

この記事は、本などを読みながら私なりに考えた内容です。

心理学や脳科学の専門家ではありませんが、学びながら感じたことを整理しています。

温かい気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。

共同体感覚を身近な言葉で考える

共同体感覚を、身近な言葉で考えたら「情けは人のためならず」でした。

この言葉はよく「情けをかけるのはその人のためにならない(甘やかすな)」と誤解されがちですが、本来の意味は

「巡り巡って自分のためになる」

ということ。

アドラー心理学では、他者貢献を「自己犠牲」ではなく、「自分の価値を実感する手段」と考えます。

実はこれ、脳科学の「ヘルパーズハイ」とも重なります。

脳科学的な補足

ちょっとした親切を行うと、脳の報酬系が活性化し、ドーパミンが放出されます。これがいわゆる「ヘルパーズハイ」です。

また、相手の感情を自分の脳内で鏡のように再現する「ミラーニューロン」の働きによって、相手が喜ぶ姿を見ると、自分の脳でもポジティブな反応が起こります。

つまり他者貢献は、「相手のため」であると同時に、ちゃんと「自分の脳のため」でもあるのです。

「自己満足」という最高の開き直り

アドラーは「承認欲求を否定せよ」と説きました。

誰かに褒められることを目的にすると、自分の人生が、他人の期待を満たすためのものになってしまうからです。

同じ親切をしても、ものすごく感謝してくれる人もいれば、もっと要求してくる人もいます。

他者の反応は、自分ではコントロールできません。コントロールできないものに振り回されると、脳は激しく消耗します。

だからこそ、

他者貢献は「自己満足」でいい。

他者貢献は、無理のない範囲で

相手の反応はコントロールできないけれど、自分の脳が「役に立てた」と喜ぶのは自由です。課題の分離さえ守っていれば、そのくらい“勝手に幸せになる”くらいでちょうどいいのかもしれません。

ただし、「適切な境界線」は必要です。

自分を削りすぎると、脳はストレスホルモン(コルチゾール)を過剰に分泌します。その結果、「せっかくやってあげたのに」という怒りや、見返りを求める気持ちに変わってしまうこともあります。

正直に言えば、まったく見返りを求めないのは、よほどできた人でないと難しい。恩を仇で返されれば、悲しいのは当然です。

ただ、

見返りを求めないほうが、自分が楽になる。

そう知っているだけで、少し生きやすくなるのではないでしょうか。

実際、私も他人の目や評価を気にしますし、恩を仇で返されたら悲しいです。でも、感情に飲み込まれそうなとき、この知識を思い出すことで、少し脳が落ち着く気がします。(落ち着かない時もありますが(汗))

「あ、私いま、他人の評価を気にしすぎて苦しいんだ」
「あ、他人の課題に踏み込みすぎたかも」

そう気づくだけで、脳の暴走は少しずつ収まっていくのではないかと思っています。

ここからは個人的な経験です

ここまでで一般的な記事は終わり、以下は個人的な経験です。
この記事には、共同体感覚に関する過去の私の経験を書いています。

死別後の経験を書いています。もし読んでいてお辛くなりそうだったら、ここで画面をそっと閉じてください。

必死だったあの頃

私は昔、家族との死別を経験しました。

自分を全否定されたような感覚に陥っていました。
呼吸することだけで、こんなに苦しい経験を初めてしました。

生きていることに罪悪感を感じて、
「生きていていい自分になる」ために、必死に「優しい人」になろうとしました。

過去のいじめの後に、カモフラージュ(仮面を被って)をして危機を乗り越えた過去があったからです。
(過去記事

ADHD傾向とカモフラージュ(マスキング)|笑顔の仮面と生存戦略

をご覧ください)

でも、あの時とは違いました。

演じようとすればするほど、感情が荒波のように押し寄せ、どうにもならない苦しみが襲ってきました。

普通に生きることすらままならなかったんです。

私には生きる気力が根本的に失われていて、生きているだけで精一杯の状態だったんだなと、あの頃を振り返ります。

友達からの言葉

そんな時に友達から、

「無理してない?
他者への親切は身を削ってはダメ。
自分が満たされた部分のお裾分けのような感覚で行うの。」

と言われました。

友達の言葉を上手く表現できていないかもしれませんが、なんだか腑に落ちる表現だと思いました。

正直、あの時期はグチャグチャでめちゃくちゃでした。
いろいろなことがあって、本当にありまくって、ようやくたどり着いたのが今の私です。

もう少し整理できたら、いつか書けたらなと思います。

今だからわかる「共同体」の意味

それから月日が流れ、今アドラーを学び直して、今になって思うことがあります。

アドラーが説いた「共同体」の中には、「私」という存在も含まれているんだなと。

アドラーは共同体感覚の中に自分を含めることが重要と言っていますが、自分も社会の一員として自分を大切にするって、思っている以上に難しいことです。

それが「共同体への貢献」だと結びつきにくいですよね。

自分を大切にすることから始めよう

いろいろな挫折や迷走を繰り返し、
私を大切にしないまま、誰かを真の意味で大切にすることはできないとわかりました。

ありのままで、私たちは誰かの役に立っている。

綺麗事かもしれませんが、すべての人は生きているだけで誰かの役に立っていると思います。

突然の死別という経験をして、人がいなくなることでこれほどまでに深い悲しみが襲うこと、そして「生きる」ということは、本当はそれだけで大変で、すごくて、尊いことなんだと痛感しました。

だから、あえて繰り返させてください。

あなたはそのままで価値がある。

私も、あなたも、この世界の中でかけがえのない大切な存在であると、私は心から思っています。

ここを読んでくださっているあなたは、私にとって大切な人です。

おわりに

自分の経験を踏まえて、グリーフについて本当はもっとまとめたいのですが、正直、まだまだまとまらなかったり、この表現でいいのかと考えたりして、なかなか筆が進みません。

それでも、今の私が感じていることを、これからも自分のペースで少しずつ書いていけたらなと思います。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

明日も皆さまにとって幸せな1日になりますように😀

このシリーズの全記事はこちら→アドラー心理学シリーズ

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この記事を書いた人

ブログ「心音」の管理人、こはくです。看護師・保健師・養護教諭の資格を持ち、介護・対人支援の現場に10年以上携わってきました。自身もADHD傾向による生きづらさを感じてきた当事者です。
また、家族を見送る経験を通じて深く悲しみと向き合い、グリーフ専門士の資格を取得しました。
現場で出会ってきた方々の姿と、脳科学・心理学の学びを重ね合わせながら、自分とやさしく向き合うためのヒントを綴っています。

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