目的を決めていいのは自分だけ|アドラー心理学と子育てを考える

目次

はじめに

⚠私個人の感想です。温かい気持ちでお読みください。
アドラー心理学が好きだからこその考察です。

この記事は過去記事 

褒めるのと何が違う?アドラー心理学の「勇気づけ」を子育てで考えてみた

アドラー式子育ての本を読んで感じた違和感― 子どもの行動を「目的」で説明することについて考えた ―

の続きになります。

アドラー心理学に子育てのヒントをもらおうと本を読んだら、逆にモヤモヤしてしまいました💦

考え抜いた結果、

「子育てに正解はない」
「育児書通りにはいかない」

という、当たり前すぎる答えに辿り着きました

結局、そこなんですよね。

目的を決めていいのは自分だけ

『マンガでやさしくわかるアドラー式子育て』は、とてもわかりやすく、光るポイントがたくさんある本でした。

しかし

「子どもの困った行動は大人の高圧的な態度が原因だ」
「子どもの目的は〇〇だ」

そう断定される表現に、疑問を感じました。

目的は本人しかわからないし、本人にすら
自分の目的を明確に理解していない可能性があります。

(断定すると、その子、人を理解する努力をしなくなってしまうのかなと思います…)

断定は“余白”を失わせ、

その型に当てはまらない親子を傷つけてしまう危うさがあるのではないか、と感じました。

子育てをアドラー心理学だけで語る難しさ

プロでもアドラーだけで子育てを語ることは難しいのだと思います。

子育てには、

一般的な発達段階の理解や、特性・グレーゾーンの理解、環境や背景への視点といった土台が欠かせません。

それらが抜け落ちたまま目的論だけを使うと、

アドラーが「子どもをコントロールするテクニック」にすり替わってしまう危うさがあると感じます。

目的論は、自分を自由にするためのもの

アドラー心理学の大きな特徴である「目的論」。

「人は目的に向かって今を変えられる」という力強い思想ですが、目的を語れるのは、自分だけです。

他者の目的を外側から断定した瞬間、それは対等な理解ではなく、「分析」になりす。

そして、最終的には「他者コントロール」になってしまいます。

(*アドラーは他者をコントロールすることは、不可能だとの立場を明確にしています。)

それは、勇気づけとは真逆の方向に向かってしまうのではないでしょうか。

小学生3年生だった頃の私を思い出します

母から

「お母さんに注目してほしいから兄弟喧嘩してるんだよね」

なんて思われていたら、

「お母さん、自意識過剰すぎ💦」

と言っていたはずです。

教師から

「あなたの行動は▲▲のためよね」

と決めつけられたら、私は心のシャッターを下ろしていたでしょう。

フロイトを添えたときに見えたもの

私は、フロイト的な視点(過去へのまなざし)も大切にしたいと思いました。

アドラーが未来を照らしたなら、フロイトは過去を見つめました。

「できない」の背景には、努力だけではどうにもならない理由や、抱えきれない経験、トラウマが隠れていることもある。

「やる気の問題」と決めつける前に、「そういう背景があるのかもしれない」と立ち止まる。

未来への勇気づけと、過去へのまなざし。

どちらもあっていい。

そのほうが自然だと私は感じました。

介護の現場で学んだ「背景」の大切さ

私は母としては新米なので、仕事(介護関係)の経験からお話しします。

例えば、認知症の方が一人で外出して帰れなくなる状況を、一般的に「徘徊」と呼ばれてしまいます。

*最近の介護現場では、この言葉は使われなくなってきています。

なぜなら、そこにはご本人の『理由』があるからです。

今回はわかりやすくするために、徘徊という言葉を使わせていただきます。

周りから見たら理由なく歩き回っているように見えても、ご本人に聞いたら「散歩している」という答えが返ってくるかもしれません。

あるいは、帰り道がわからなくなって立ち往生している「お困りを抱えている状況」なのかも。

「お散歩をしている」が正解かは誰にもわからないし、

もしそうであっても、家族や今の介護保険サービスで、すべてを解決できるわけでもありません。

でも、月に一度でも、

誰か(家族、友達、ボランティアさん)が一緒に歩いて景色を楽しみ、

その方が穏やかに過ごせる時間があったなら、それは大きな意味があると思うのです。

その方のお困りごとを一緒に考えること、

他者の理由をこうだと断定しないこと。

介護も子育てと同じで、

相手を一人の人間として見ることの難しさと大切さを感じます。

理論より、目の前のその子、その人へ

理論は道しるべにはなるかもしれません。

でも、当たり前のことだけど、人は理論通りにはいかない。

すぐに解決できなくてもいい。

悩みながら、迷いながら、わかろうとする。

その「余白」を持ち続けることこそが、大切なことなのかなと思います。

*アドラー心理学だけで、子育てを語るのは不可能ということではなく、

アドラー心理学だけでは、プロでも解釈を間違えてしまう可能性があるのかな、という意図で書きました。

読んでくださりありがとうございました😊

皆さまにとって素敵な1日になりますように😄

 

このシリーズの全記事はこちら→アドラー心理学シリーズ

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この記事を書いた人

ブログ「心音」の管理人、こはくです。
看護師・保健師・養護教諭の資格を持ち、介護・対人支援の現場に10年以上携わってきました。
自分自身もADHD傾向による生きづらさを感じてきた当事者です。
現場で出会ってきた方々の姿と、脳科学・心理学の学びを重ね合わせながら、自分とやさしく向き合うためのヒントを綴っています。グリーフケアや暮らしの工夫についても、実体験をもとに、自分のペースで発信中です。

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