『ADHDグレーゾーン』を読んで|山の六合目でも、坂は険しい

『ADHDグレーゾーン』を読んで|山の六合目でも、坂は険しい

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はじめに

自分がADHDグレーゾーンかもしれないと感じながら、長い間それから目をそらしながら生きてきました。

このブログのADHDグレー×脳科学シリーズでも、自分の特性について少しずつ書いていますが、「そもそもグレーゾーンとは何か」を、もう少し深く知りたくて、岡田尊司先生の『ADHDグレーゾーン』を手に取りました。

読み終えて、「あ、これだ」と思う場面が何度もありました。これは私というフィルターを通した、一読者の感想記事です。

グレーゾーンは「軽い」のではない

本の中で、岡田先生は障害を山に例えて説明しています。

八合目以上が、診断のつく障害レベル。六〜七合目は診断がつかないグレーゾーンとのこと。そして山頂より裾野のほうが広いように、グレーゾーンの人のほうが実は圧倒的に多いといいます。

でも六合目でも、その人はかなり険しい坂を登っています。

ではこの本では触れられていない「四〜五合目」はどんな感じなのかなと考えました。医学的には診断の対象にはならないけれど、本人なりの凸凹や生きづらさを感じる人もいるのかな、と。そう考えると、私はこの辺にいるのかなと勝手に思いました。

診断の「ライン」に届かないというだけで「異常なし」と判定される。多数派のペースに合わせて生きることを求められる。

そして——「障害ではありません」と言われたとき、ほっとする人がいる一方で、逆に深く傷つく人もいると思います。

「じゃあ、この苦しさは何だったんだろう」
「努力が足りなかっただけなのかな」

そう感じてしまう人が、きっといると思います。

でも、診断がつかないことは、その生きづらさがなかったことにはならないのです。

山の高さ(診断)だけでジャッジするのではなく、その人が今どれだけ険しい坂を登っているか——主観的な苦しさに目を向けてほしい。私はそのメッセージを受け取りました。

「疑似ADHD」という視点——私はどちらだろう

本を読んでいて、もう一つ気になった概念がありました。「疑似ADHD」です。

虐待や否定的な養育、安心を奪われた体験など、愛着や心の傷が絡むことで、ADHDとよく似た症状が現れることがある。岡田先生はこれを「疑似ADHD」と呼んでいます。グレーゾーンのケースには、こうした愛着・トラウマが絡んでいることが少なくないといいます。

ここで大切なのは、どちらが「本物」という話ではないということです。発達特性と愛着・環境要因はきれいに分けられるものではなく、両方が重なっていることもある。背景によって似た困りごとが現れる、というグラデーションの視点が重要だと感じました。

読みながら、もしかして私もそちらかもしれないと思いました。でも幼少期を振り返ると——忘れ物、なくしもの、片付けができない。これは小さなころからずっと続いているパターンでした。両親の関係は良好で、愛着の土台はあったように感じています。

そう整理すると、「疑似」ではなく、もともとの神経学的な特性としてのグレーゾーンという自己理解のほうがしっくりくると気づきました。

ただ、自分一人で判断するのが難しいと感じる場合は、専門家と一緒に整理していくことも大切だと思います。「正しい答えをもらう」というよりも、「一緒に整理する」という感覚で、必要なときに頼っていい。

自分を知るプロセスは、一直線ではありません。本を読みながら自分に問いかけ、また少し答えに近づく。そういうものなのかもしれないと感じています。

「様子を見ましょう」の向こう側

実際一人の母親として思うことは、子どもの発達について学ぶ機会が少ないということ。意識して学ばないといけないこと、調べたら情報がたくさん出てきますが、どれが正しいか分からなくなることもあると思います。

保健師・養護教諭の資格を通して、子どもの発達について学んできました。でも、教科書的に学ぶのと、実際の子育ては全く違いました。子どもの発達について相談窓口に相談したこともありますが、窓口はたくさんあるものの包括的ではないことを感じました。

あるママ友からも同じ言葉を聞きました。「子どもは困っているのに、保健師さんに相談しても様子を見ましょうで終わってしまう。子どもはつらそうなのに」と。またあるママ友は、「子育て支援は手が届きそうで、届かないんだよね」と言っていて、心の中で同意してしまいました。

これは子育て相談だけの話ではありません。高齢者支援の場でも、同じ構造に出会うことがあります。検査の数字だけを見て、目の前の人の「困りごと」に目が向かないまま終わってしまう場面に。

六合目の人が「八合目に届いていないから大丈夫」と言われ続けることの問題は、医療も福祉も、同じところで起きています。

診断より大切なこと

岡田先生はこう書いています。診断はゴールではなくスタートだ。大切なのは「どう支え、どう活かすか」であり、何より「ありのままを受け入れる安心感」が脳と心を最も安定させると。

診断名は、自分を縛るラベルではありません。自分をやさしく整えるための、取扱説明書のインデックスにすぎないのだと思います。

人は白黒では割り切れなくて、脳の特性も、生育環境も、その両方が重なりながら今の自分を作っているのかもしれません。だからこそ、診断名よりも「その人の特性や困りごと」に目を向けることが大切なのだと、改めて感じました。

では、私たちに何ができるのか——マインドフルネスという選択

「特性を知る」「安心感を持つ」と言われても、じゃあ具体的に何から始めればいいの?と思う方もいると思います。

岡田先生が本の中で紹介しているのが、マインドフルネスです。脳の実行機能を高める方法として、科学的な裏づけが積み重なっています。たった3分間行うだけで前頭葉の血流が増え、意思決定の質が上がることが実証されているといいます。

すぐに劇的に変わるわけではありませんが、脳を整える土台として役立つ可能性があります。

特に響いたのが、「最小最悪意思決定」という考え方です。「どれが完璧な正解か」を探し続けると、脳はフリーズしてしまいます。大切なのは、一番やってはいけない最悪の選択を避け、今できる決断を下すこと。マインドフルネスは、その「しなやかな決断力」を育ててくれる土台になるといいます。

完璧を目指さなくていい。まず3分、呼吸を整えるところから。

このブログのグラウンディング実践記も、よかったら合わせて読んでみてください。
→【グルグル思考に、ひとすじの光を。私のグラウンディング実践記

おわりに

正直に言うと、私自身がADHDグレーなのか、疑似ADHDなのか、それともどちらでもないのか、実際のところわかりません。

今は子育てと家事、パートを、完璧ではないにせよ両立しています。ものすごく困っているわけでもない。

でも、注意力の弱さや片付けの苦手さによる生きづらさがあることは、素直に認めてあげたいと思っています。そして、少しずつ生きやすくなるように工夫していけたらいい。

「診断名よりも特性を知ること」——この本を読んで、改めてそう思いました。

そして、医学の進歩により、もっとわかりやすい指標でお困りごとがわかるようになったらいいなとも思います。診断名ではなく、その人の特性や困りごとに寄り添える時代が来てほしい。

この記事が、同じように「なんとなく生きづらい」と感じている誰かに届いてほしいと思います。

六合目でも、坂は険しい。そのしんどさを、「気のせい」にしなくていいのだと思います。


※この記事は筆者の体験および参考文献をもとにまとめたものです。つらさや困りごとが強い場合は、医療機関や専門家への相談をおすすめします。

参考文献

岡田尊司『ADHDグレーゾーン』新潮文庫、2020年

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この記事を書いた人

ブログ「心音」の管理人、こはくです。看護師・保健師・養護教諭の資格を持ち、介護・対人支援の現場に10年以上携わってきました。自身もADHD傾向による生きづらさを感じてきた当事者です。
また、家族を見送る経験を通じて深く悲しみと向き合い、グリーフ専門士の資格を取得しました。
現場で出会ってきた方々の姿と、脳科学・心理学の学びを重ね合わせながら、自分とやさしく向き合うためのヒントを綴っています。

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