約2500年前からあった心を整える知恵

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はじめに

いつもブログに遊びに来てくださり、ありがとうございます😊

※ ご注意 この記事は、私が学んだり調べたりしたことを、自分なりにまとめたものです。 間違えている部分や誤った解釈をしている部分がある可能性があります。 ご理解の上、温かく読み進めていただければ幸いです。

大昔からあった、脳科学的に合理的な考え

私の実家は、仏壇も神棚もある昭和に建てられた家です。

お正月には初詣に行き、夏には神社のお祭り、お盆にはお墓参り。そしてクリスマスにはケーキを食べて、サンタさんからプレゼントをもらう。

そんな、多くの日本人と同じような宗教観をもつ家庭で私は育ちました。

ですから「仏教」と聞くと、お葬式や仏様といった宗教的なイメージを、ずっと持っていました。

子どもの頃に聞いた「四苦八苦」という言葉も、

「人生は苦しみばかりなんて、なんてネガティブなんだろう」

と感じていたのを覚えています。

でも、大人になってさまざまな経験をし、脳科学やグリーフケアを学ぶ中で、お釈迦様(ブッダ)の教えは、宗教的なお話というよりも、脳科学的にも合理的なメンタルヘルスの知恵だったのではないかと知りました。

徹底したリアリストだった?

お釈迦様(ブッダ)は、死後の世界や神様・仏様について弟子に問われても、答えなかったと言われています。

「そんな答えの出ないことにエネルギーを使うより、今ここにある苦しみをどうにかしよう」

と考えたからだそうです。

毒矢のたとえ

お釈迦様(ブッダ)が弟子に語った有名な話に「毒矢のたとえ」があります。

ある人が毒矢で射られたとします。そのとき、こんな疑問を持ち始めたとしたら——

  • 射たのは誰だ?
  • 矢の材質は何だ?
  • 弓の弦はどこの糸だ?

答えが出る前に毒が回って死んでしまいます。

まずやるべきことは、今刺さっている毒矢を抜くこと。

お釈迦様(ブッダ)にとっての「毒矢」とは、今ここにある苦しみのことでした。

「死んだらどうなるか」を議論するよりも、

今、目の前にある苦しみをどう扱うか——そこにすべてのエネルギーを注ぐべきだと考えたそうです。

仏教と脳科学

私たちが知る「仏様」「極楽浄土」などの物語は、後の時代に弟子たちが人々を救うために広めたものとも言われています。

お釈迦様(ブッダ)自身の教えは、むしろ

脳の取扱説明書

に近いものだったのかもしれません。

脳を整える「マインドフルネス」

今や世界中で取り入れられている「マインドフルネス」。そのルーツは、お釈迦様(ブッダ)が大切にした

サティ(sati)

パーリ語で「気づき」を意味するこの修行法は、
今この瞬間の心と体に起きていることに、ただ気づき続けること
と言われています。

これによって脳は、休息中に活性化し、反芻思考(過去の後悔・未来の不安)につながりやすい回路である

DMN(デフォルトモードネットワーク)

を静め、前頭前野(脳の司令塔)の働きを助けると考えられています。

約2500年前の知恵が、今の脳科学によって少しずつ説明されつつあります。

苦しみがあることを認める

お釈迦様(ブッダ)が説いた「四苦八苦」は、苦しみを我慢しろ、という意味ではありません。

「人生には、思い通りにいかないことがたくさんある。それが自然なことだ」

と認めることだと言われています。

グリーフケア(喪失による悲しみのケア)でも、大切な人を亡くした後の心身の反応は自然な反応だと教わります。

「苦しみなんてない」と否定したり、「早く元気にならなきゃ」と自分を追い込んだりすると、脳の警報装置である扁桃体は正体不明の危険を感じて、さらに警報を鳴らし続けます。

でも、

「今、私は苦しいんだな。これは人間として自然な反応なんだな」

と認めると、前頭前野が状況を理解し、暴走していた感情が少し落ち着くことがあります。

執着を手放し、脳に余白をつくる

お釈迦様(ブッダ)の言う「執着」は、脳科学では特定の回路への固執とも言い換えられると思います。

「こうでなければならない!」と一つの思考回路にエネルギーが回り続けると、脳はとても疲れてしまいます。

そこで役立つのが

メタ認知(自分の思考を客観的に見る力)

「あ、今また執着しているな」
「あ、今注意がそれたな」

と気づくことで、脳のネットワークは柔軟さを取り戻していきます。

完璧を目指さない(補足)

執着を完全に無くすことは難しいことです。

私個人の見解ですが、

苦しみがあると知ること、

今ネガティブな思考に頭がいっぱいになっていること

に気づくだけでも十分だと思っています。

二の矢を受けない知恵

約2500年前、お釈迦様(ブッダ)は「二の矢を受けないようにしなさい」と教えました。

一の矢

避けられない苦しみや悲しみ

二の矢(自分で放つもの)

「どうして私だけ」「あの時こうしていれば」と自分を責め続けること

一の矢は避けられないものかもしれません。でも、自分を追い込む二の矢は、少しだけ減らすことができるかもしれません。

優しく自分に語りかけたい

未熟な私は、今でも二の矢を受けてしまいます。

それでも、その傷をできるだけ小さくしてあげたいと思っています。

生きている限り、苦しみはあります。

だからこそ、一歩引いて自分を眺めながら、「扁桃体おばあちゃん(脳の警報器)、教えてくれてありがとう。」と、優しく自分に語りかけられたらいいなと思っています。

最近は、ハーフスクワットやかかと上げをしています。これもグラウンディング(今ここに根を下ろすこと)の一つだと思い、できるだけ長く続けていきたいです。

読んでくださり、ありがとうございます😊

皆さまにとって、明日も素晴らしい一日でありますように。

このシリーズの全記事はこちら→ADHDグレー×脳科学シリーズ

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この記事を書いた人

ブログ「心音」の管理人、こはくです。
看護師・保健師・養護教諭の資格を持ち、介護・対人支援の現場に10年以上携わってきました。
自分自身もADHD傾向による生きづらさを感じてきた当事者です。
現場で出会ってきた方々の姿と、脳科学・心理学の学びを重ね合わせながら、自分とやさしく向き合うためのヒントを綴っています。グリーフケアや暮らしの工夫についても、実体験をもとに、自分のペースで発信中です。

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