グリーフとは何か——悲しみには、それぞれの形がある

グリーフとは何か——悲しみには、それぞれの形がある


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はじめに

私が子どもの頃は、葬儀は葬儀場で葬儀会社に依頼して行うのではなく、地域の人の力を借りていました。
それは温かみもありましたが、葬儀の場でこんな声を耳にしたことがあります。

「あんなに大泣きして」
「周りへの挨拶もできていなかった」

また、四十九日を過ぎても納骨できずにいる家族に、こんな言葉がかけられることもありました。

「いつまでも悲しんでいたら、成仏できないよ」

悪意はなかったと思います。
早く立ち直ってほしい、前を向いてほしいという願いがあったと思います。

でも子どもながらに、なんとなく感じていました。

——お葬式やその後の法要の時間は、ただ悲しむ場ではなく、きちんとしなければならない場なのかもしれない、と。

個人的な悲しみより、他者への配慮や作法が優先される。

それが日本の「悲しみの場」の空気だったのかもしれません。


グリーフとは何か

「もう立ち直ったの?」
「時間が解決してくれるよ」

大切な何かを失ったとき、こんな言葉をかけられたことはありませんか。

あるいは自分自身に、こう言い聞かせたことはありませんか。

「私の悲しみなんて、大したことない」と。

グリーフとは、喪失に対する自然な反応のことです。

日本語では「悲嘆」と訳されることが多いですが、単なる「悲しみ」よりも広い意味を持っています。

心理学的には、愛着のあるものを失ったときに生じる感情・思考・身体反応のすべてを含みます。


死別だけではない

グリーフは、死別だけに起こるものではありません。

たとえば——

  • 大切なペットとの別れ
  • 離婚・失恋・退職
  • 病気による「以前の自分」との別れ
  • 引っ越しや子どもの独立

そして、一見「おめでたいこと」でも起こります。

結婚・出産・進学・就職——新しい始まりの裏側に、「以前の自分」や「慣れ親しんだ日常」との別れがあるからです。

「嬉しいはずなのに、なんだか苦しい」

それは弱さではありません。心が正直に、喪失に反応しているサインです。

もちろん、人とのつながりに救われる場面もあります。新しい環境で出会った人に支えられたり、変化の中に喜びを見つけたりすることもある。

でも日本では「おめでたいことなのに悲しいなんて」という空気が強いぶん、この苦しさは余計に孤立しやすい。

だからこそ、言葉にしていいと思っています。


「大したことない」は本当か

「あの人の悲しみに比べたら」
「ペットだから」
「もう時間が経ったから」

自分の悲しみを小さく見積もってしまうことがあります。

でも脳科学の研究では、喪失や孤独は身体的な痛みと近い形で処理されることがわかっています。

「胸が痛い」は、比喩ではないのです。

だからこそ、人は喪失によって本当に“傷つく”のかもしれません。


大切にしたい視点

心理学や脳科学で説明できる部分はあっても、私がこのブログで忘れたくないことがあります。

グリーフ、つまりは悲しみは比べられません。

「あの人はもっとつらいはずなのに、私はこんなことで」と、自分の悲しみを小さく見積もらなくていいのです。

悲しみに、深いも浅いもありません。
悲しみ方に、正解も不正解もありません。

声をあげて泣くことも、涙が出ないことも、怒りになることも、無感覚になることも——すべて、その人の心が精一杯反応している姿です。

他の誰かと比べなくていい。
自分のペースで、自分のやり方で。

他の誰にも測ることはできない、その人だけの唯一無二の悲しみがあるからです。


おわりに

悲しみ方は、人それぞれです。

泣ける人も、泣けない人もいる。
言葉になる人も、ならない人もいる。

このブログ「心音」では、グリーフを心理学・脳科学・日本文化の視点から一緒に考えていきます。

この場所が、誰かの「そのままの悲しみ」を少し置いていける場所になれたらと、おこがましくも思っています。

次の記事では、日本人がどう悲しんできたのか、歴史をたどってみます。


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この記事を書いた人

ブログ「心音」の管理人、こはくです。看護師・保健師・養護教諭の資格を持ち、介護・対人支援の現場に10年以上携わってきました。自身もADHD傾向による生きづらさを感じてきた当事者です。
また、家族を見送る経験を通じて深く悲しみと向き合い、グリーフ専門士の資格を取得しました。
現場で出会ってきた方々の姿と、脳科学・心理学の学びを重ね合わせながら、自分とやさしく向き合うためのヒントを綴っています。

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