はじめに
前回 フロイトの視点からなぜアナキンはダークサイドに堕ちてしまったのかという記事を書きました。
今回はアナキン・スカイウォーカーとルーク・スカイウォーカー
同じ「強いフォース」を持ちながら、
一人はダークサイドに堕ち、もう一人は踏みとどまりました。この違いは性格だけではなく、幼い頃からの環境が見えてきます。
心理学(フロイト心理学を中心視点)から見えていきたいと思います。
(※この記事はエピソード1〜6のネタバレを含みます。また、独自の解釈も含まれます)
アナキンとルーク:明暗を分けた「心の土壌」の違い
なぜ、同じく強いフォースの力がありながら、アナキンは闇に堕ち、ルークは光に留まれたのでしょうか。
心のルールは、いつ作られるのか
ジークムント・フロイトは、
人の心を
欲望の「イド」
現実と調整する「自我」
ルールや理想の「超自我」
の3つで説明しました。
この中でも「超自我」は、
子ども時代にゆっくり育っていく“心のルール”です。
本来は、
親との関係
安心できる環境
日常の中での経験
を通して、少しずつ内面化されていきます。
アナキンの心 不安定な土壌
アナキンの幼少期は、奴隷という極限の環境で過ごしました。
いつ売られるかわからない。母をいつ失うかわからない。
心理学では、幼い頃に安心して愛着を結べなかった場合、「不安型」の愛着スタイルが育ちやすいと言われています。
「不安型」の人は、愛する人を失うことへの恐怖が人一倍強く、その恐怖が「手放せない執着」に変わりやすい。
さらにアナキンは、母親と引き離されるという経験もしています。
安心の土台が不安定なまま、「失う恐怖」だけが強く残ってしまいました。
アナキンがジェダイの道に入ったのは9歳。
まだ心の土台が作られている途中でした。
そんな時期に出会ったのが、
「執着するな」
「感情を手放せ」
という、非常に厳しいジェダイの掟です。
本来ならやわらかく育つはずの「超自我」が、
外から強く押し付けられる形で作られてしまいました。
ルークの心——安全基地という土台
一方で、ルークがジェダイの道に入ったのは19歳。
彼はそれまで、叔父のオーウェンと叔母のベルーに育てられました。
「家族の一員」として普通に生きた19年間。
すでに
ある程度の価値観
日常の経験
自分なりの判断軸
が育ったあとでした。
この違いはとても大きいものだと感じます。
ルークはジェダイの教えを
そのまま受け入れるのではなく
自分の中で考え
必要に応じて選び直す
ことができました。
この「普通の19年間」こそが、ルークの心の土台になっていたのだと思います。
心理学者のジョン・ボウルビィは、幼い頃に「ここに帰れば安心だ」と思える場所(安全基地)を持てた子どもは、外の世界の困難に立ち向かう力が育つと言いました。
ルークにとってオーウェン夫婦は、まさにその安全基地でした。
だから彼は、ダークサイドの誘惑を前にしても、「自分が何者か」という感覚を失わずにいられたのだと思います。
イギリスの精神科医・ウィニコットが教えてくれること
「ほどよい母親(親)」という言葉を聞いたとき、あなたはどう感じましたか?
「ほどよい」——それはつまり、完璧じゃなくていい、ということです。
イギリスの小児科医・精神分析家のドナルド・ウィニコット(1896〜1971)は、こんなことを言いました。
「子どもに必要なのは、完璧な親ではない。ほどよく応えてくれる親だ」
生まれたばかりの赤ちゃんには、ほぼ100%応えることが必要です。でも成長とともに、親は少しずつ「ほどよく失敗」していく。
その小さな失敗の積み重ねが、子どもの中に「待てる力」「自分でなんとかする力」「それでも大丈夫という感覚」を育てていく、とウィニコットは考えました。
オーウェン叔父夫婦はほど良い親だった
オーウェン叔父夫婦は、ウィニコットのいう「ほどよい親」だったのだと思います。
一人の母親として思うことですが、実の親でも、ほどよい親になることは、非常に難しいと感じます。
オーウェン叔父夫婦は、突然預けられた血の繋がらない甥を、(ある程度ルークの出生の秘密を知りながら)、実の子と同じように無償の愛を注いで、育てました。
それができたオーウェン叔父夫婦は素晴らしい方々だったのだと思います。
中々できることではありません。
※ウィニコットの考え方については、スター・ウォーズを離れてあらためて深く書きたいと思っています。
オビ・ワンがほどよい親(師)になれなかった理由
オビ・ワン・ケノービは、弟子として、弟や息子のようにアナキンを愛していました。
それは間違いないと思います。
小説版を読めば、彼がどれほどアナキンを案じ、葛藤していたかが伝わってきます。
では、なぜ彼は「ほどよい養育者」になれなかったのでしょうか。
悲嘆の途中で「師(親代わり)」になった
オビ・ワンがアナキンを引き取ったのは、師匠クワイ=ガン・ジンを目の前で失った、その直後のことでした。
自分自身の悲しみをまだ抱えたまま、彼は親(親代わりの師)になりました。
心理学的に言えば、悲嘆が処理されないまま始まった養育です。
その状況で、誰かの心に寄り添うことは、とても難しいと言われています。
ジェダイの掟という鎧
さらにオビ・ワンには、前編でも触れたジェダイの掟(スーパーエゴ)がありました。
アナキンが「お母さんが心配だ」と打ち明けたとき。
パドメへの愛を隠しきれなくなったとき。
本当は「そうか、つらいな」と言いたかったかもしれない。
でも、ジェダイの掟がその言葉を飲み込ませた。
鎧を脱げない人は、相手の心にも鎧を着せてしまうことがある。
オビ・ワンの誠実さが、皮肉にもアナキンの心をより固く閉ざしていったのかもしれません。
彼もまた支援が必要だった?
彼の弟子育ては、孤独でした。
師を失い、評議会という上位組織の論理の中で、ひとりでアナキンを育てようとしていた。
支援されない養育者は、どんなに愛情があっても、限界があります。
それはオビ・ワンだけの話ではなく——現代の親たちにも、そのまま重なる話だと思うのです。
【Ifの物語】クワイ=ガン・ジンが生きていたら?
もし、クワイ=ガン・ジンが生きていたらと、ネットで議論されていたのをみました。
私も、もし彼が生きていたら、スター・ウォーズの歴史は大きく変わっていったと思います。
クワイ=ガンという人
クワイ=ガンは、ジェダイ評議会から一定の距離を置いていた人物でした。
彼が大切にしていたのは「リビングフォース(生けるフォース)」——
未来の予言や組織のルールより、今、目の前にいるこの人を見ること。
評議会が反対しても、自分の判断を曲げない。
規範より人間を優先できる。
アドラー心理学の言葉を借りるなら、彼は「縦の関係(上下の支配)」ではなく「横の関係(対等なつながり)」で人と向き合える人でした。
ジェダイの中では、かなり異質な存在だったと思います。
地下室の扉を、一緒に開ける
アナキンが「お母さんが心配だ」と言ったとき。
クワイ=ガンなら、こう言えたかもしれません。
「そうか、会いに行こう」と。
フロイトの言う「心の地下室(無意識)」に押し込められた感情は、誰かに「それでいい」と言ってもらえたとき、はじめて外に出られます。
クワイ=ガンは、アナキンの地下室の扉を、一緒に開けられる人だったのではないかと思うのです。
そしてもうひとつ。
クワイ=ガン(父)+オビ=ワン(兄)+アナキン(弟)という三世代のつながりがあれば、オビ=ワンも孤立しなかったはずです。
そしてアナキンの心に「本当のことを話せる人」がいれば——パルパティーンが付け入る隙は、なかったと思われます
現代社会にも、手を差し伸べてくれる人(クワイ=ガン)が必要だ
スター・ウォーズの話を、少し現実に引き寄せてみます。
現代社会で「養育者」といえば、多くの場合、母親がその役割を担っています。
ほどよい親になるためには、その親自身が「ほどよく支えられている」必要がある、ということです。
オビ=ワンがアナキンに寄り添えなかったのは、愛情が足りなかったからではなく、彼自身が、孤独で、なおかつ「こうでなければならない」という固定観念に縛られていたからだと思います。
これは現代の親たちにも、そのまま重なります。
窓口はあるけれど
少子化が叫ばれて、子育て支援が充実した現代社会。
子育て支援の相談窓口は、かなり沢山あります。
しかし、相談してみるとわかることがあります。
支援に一貫性がなく「ぶつ切り」の状態であるということです。
母親が相談しても「様子を見ましょう」と言われてモヤモヤしたという意見も聞きますし、「それはこちらで相談してください」とたらい回しにされ、また一から悩みを相談するという話も聞きます。
相談窓口はたくさんあっても、包括的に母親を支援する仕組みになっていないという現実があります。
「お互い様」で生きられる社会へ
少しでも子どもを産んでもらおうと、今政府は子育て支援に力を入れています。
子どもにはお金がかかるし、それは必要なことかもしれませんが、
介護が必要な人や家族が、こちらにも目を向けてほしいという声や
超氷河期世代と言われる支援が行き届かなかった世代などから、不公平感がでているような気がします。
子育て世代だけを優遇すれば、きっと不満が生まれます。
綺麗事かもしれませんが、本当に必要なのは、あらゆる年代や状況の人が「お互い様」で支え合える社会になってほしいなと私は思います
子どもや親だけでなく、すべての人が「まいっか」と少し肩の力を抜いて生きていけること。
特定の世代だけを優遇するのではなく、社会全体に「心のゆとり」という土壌が広がること。
その結果として、子どもたちの心の土壌が知らないうちに豊かになっていく。
そんな「やさしい循環」が生まれることを、切に願っています。