アドラー式子育ての本を読んで感じた違和感― 子どもの行動を「目的」で説明することについて考えた ―

目次

はじめに

『マンガでやさしくわかるアドラー式子育て』を読みました。

これは過去記事 「褒めるのと何が違う?アドラー心理学の「勇気づけ」を子育てで考えてみた」をご覧ください。
アドラー心理学については、昔から知っていたものの、
アドラー心理学を子育てについてどう活かすか、という視点で悩んでいたので、上記の本を頼みました。

ものすごく届くのを楽しみにしていた本でした😀


注意書き

この本にタメになる、勉強になると思う人がいる一方で、
こぼれ落ちてしまう人がいるのではないか、という気持ちで書いています。

そしてこの記事は、あくまで個人の感想です。
温かい気持ちでおよみください。

(だいぶ、先輩教師に感情移入してます)


読みやすい本。でも少し引っかかったところ

内容として、とても読みやすく、前向きで、
きっと勉強になったと思う方も多い本だと思います。

でも同時に、読んでいて少し引っかかるところもありました。

引っかかった部分は、
子どもの「できないこと」が、
すぐに子どもの「目的」や「やる気」の問題として描かれていると思うからです。


たとえばの場面

小学3年生の行動は「注目を引きたいサイン」?

小学3年生
部屋がぐちゃぐちゃ
朝の準備をしない
→「お母さんの気を引きたいサイン」

だから、お母さんはあえて何も口をださないようにした。
そしたら、全部うまくいった。

どこか、進研ゼミの漫画のように
「これを始めたら、全部うまくいく」
という、理想が一気に叶う物語のような印象も受けました。

(進研ゼミ始めたからって恋愛も友情も部活も上手くいくわけないよねと突っ込んだことあるのは私だけではないはず(笑))

本当に「注目を引きたい」だけなのか

もちろん、そういうケースもあると思います。
でも、小3という年齢からいったら、

  • 「片付けが苦手」
  • 「遊びたいし、片付けや準備が、めんどくさい。後でいいや」

と思っている子が多いと思います。

「片付けが苦手で困っている」
「集中して片付けや準備できないから困っている」

という子には、この子の課題だから、何もしないという選択が…本当にアドラーのいう課題分離なのでしょうか?


課題分離の前に、観察と理解が必要

課題分離とは突き放すことではない

アドラー心理学の大切な考え方に、「課題の分離」があります。

でもそれは、距離を置くことでも、突き放すことでもなく、

相手が本当に困っているところを理解した上で、
その人の力を信じること

だと思います。

もし、“本当にできなくて困っている子”に対して
「それはあなたの課題だから」と手を引いてしまったら、
その子はさらに孤立してしまうかもしれません。

ADHDグレーゾーンの視点から感じたこと

ADHDグレーゾーンの私からすると、
もう少し描き方に配慮があってもよかったのでは…と感じました。

この本を読む限り、
「小3のこどもが、親に注目してもらうために、
準備をしない・片付けない」と考えるに至った理由が、正直、わかりませんでした。

(子供はお母さんのことが大好き。
いつも自分のことを見てほしいのです。
お母さんのことが大好きだから、自分の存在をアピールしているのです。本書35ページ引用

小3でお母さんに注目されたいから、片付けない?
そういう子どもいるかもしれません
でも、注意されたら「うるさいな」と思う子も多そう)

「いやいや、お母さんに注目されたいわけじゃない!
片付けや準備が苦手だから、後回しにしているだけだよ」

と子どもの頃の私が言っています(笑)


親が子どもの課題をヘルプしたい時

子どもの課題に関わる手順

続いては、よかった点です。

親が子どもの課題に関わっていい、その手順について、
とてもわかりやすく書かれています。

ポイントとしては、

  • 親が子にこの部分について関わっていいか、サポートしていいか、許可をとる
  • 最終的には子どもに判断させる
  • その判断を尊重する

という、

「親は子どもの課題に関わっていい。サポートしていい」

という視点は、とても大切だと思いました。


他者コントロールはできないはずだったのに…

「反抗的な子どもなんて存在しない」という言葉

本書のなかで、私が一番引っかかった記述があります。

「反抗的な子どもなんて存在しない。
反抗的な子どもの前には、
要素を引き出す大人=強圧的な大人がいる」
(本書 44ページより引用)

もちろん、大人の関わり方が子どもに影響を与えるケースはあると思います。
でも、断言してしまうのは、少し誤解を招く表現ではないでしょうか。

もし、目の前の状況がうまくいかずに悩んでいる大人がこの言葉を読んだら、どう感じるでしょうか。

「子どもが反抗的なのは、自分の関わり方が悪いからだ」と責められているように感じ、
立ち直る力を奪う「勇気くずし」に繋がってしまう気がします。

本来アドラーは、

「子どもが変わるかどうかは子どもの課題であり、
大人ができるのはサポート(勇気づけ)までである」

と説いています。

「大人がいい関わりをすれば、子どもは不適切な行動を起こさない、良い子になる」という考えは、
アドラーのいう「課題の分離」と矛盾してしまうのではないでしょうか。

*ここでいう不適切な行動とは、誰にとっての不適切な行動なのでしょうか?という疑問も残ります…


「環境」が優しい人を追い詰めることもある

追い詰められていった先輩教師

作者は教師として、あるエピソードを語っています。

先輩教師が担当したクラスの児童たちとうまくいかず、
元気がなくなり、やがて休職されました。

その後、教師である作者がそのクラスに関わったら、
その子たちは「問題児」ではなかった。
だから、大人(先輩教師)が子どもたちの不適切な対応を引き出していたのだとわかった、という内容です。

私は教師ではありませんが、人と接する仕事をしています。
この描写を読んだとき、胸が締め付けられました。

先輩教師は、もともとは温かく優しい人だったそうです。
それが、だんだんと口数が減り、表情を失い、
隣の教室に怒鳴り声が聞こえるほどに追い詰められ、最後には病休に追い込まれた。

これは、先生個人の問題なのでしょうか?

「先生が怖いから子どもが荒れた」のではなく、
「子どもが荒れ、サポートもない絶望的な環境が、
優しい先生を変えてしまった」のかもしれません。

ボロボロになるまで耐え抜いて去った前任者と、
新しく関わる後任者。
この二人が子どもから受ける刺激は、最初から全く違います。

それを、前任者である先輩教師を
「不適切な対応を引き出す原因」として結論づけてしまうのは、
あまりに酷ではないでしょうか。

誰かが限界まで追い込まれたとき、
それはその人一人の問題ではなく、
支える仕組みや環境の問題でもあるはずです。

この先輩教師を、
学校という組織としてサポートしてほしかったと切に思います。


アドラーは、比べるなら「過去の自分だけ」と言った

アドラーらしい視点とは何か

アドラーは、人と人を比べるのではなく、
過去の自分と今の自分を比べることを大切にしました。

だからこそ、

「私自身がどう変わったか」を語ることが、
本来のアドラーらしさではないでしょうか。

例えば
「不適切な行動を引き出す相手がいる」という文章のなかに、

「先輩教師が元気をなくしていった時に、
こんな勇気づけやサポートがあればよかったと気づいた」

などの作者の学びや気づきがあったらな…
とおこがましくも思ってしまいました…

アドラーの共同体感覚を勉強した後だったので、特にそう思います…

子どもたちも勿論大切ですが、
先輩教師だって、大切な仲間の一人だと叫びたくなりました。

(いつかアドラーの共同体感覚について書きたいと思います)


まとめ

この本はとてもわかりやすく、
多くの方に支持されている一冊です。

しかしながら、
テクニックとわかりやすさと引き換えに、
子どもを理解するための大切な前提や過程が、
省かれているように感じます。

この一冊だけでは、
こぼれ落ちてしまう人がいるのではないかという視点で書きました。

アドラー心理学を誤解なく学ぶという意味では、

  • 『嫌われる勇気』などのベストセラー
  • 『マンガでやさしくわかるアドラー心理学』(読みやすくてオススメです♡)

を読むことをオススメします!😄

繰り返しますが、以上は個人の感想です。

読んでくださりありがとうございます😊
明日も皆さまにとって幸せな1日になりますように♡

このシリーズの全記事はこちら→アドラー心理学シリーズ

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この記事を書いた人

ブログ「心音」の管理人、こはくです。
看護師・保健師・養護教諭の資格を持ち、介護・対人支援の現場に10年以上携わってきました。
自分自身もADHD傾向による生きづらさを感じてきた当事者です。
現場で出会ってきた方々の姿と、脳科学・心理学の学びを重ね合わせながら、自分とやさしく向き合うためのヒントを綴っています。グリーフケアや暮らしの工夫についても、実体験をもとに、自分のペースで発信中です。

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