はじめに
この記事は、
本を読みながら私なりに考えた内容です。
心理学や脳科学の専門家ではありませんが、
学びながら感じたことを整理しています。
温かい気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。
劇薬と言われるのはなぜか、私なりの考察
アドラー心理学ばかり書いててすみません💦
どうして、アドラー心理学が劇薬と言われるか、私なりに考えてみました。
アドラー心理学といえば、勇気づけ、課題分離が有名です。
しかし、子育てにアドラー心理学を活かすとき
気をつけないと
大人の思い通りに動かそうとする「ご褒美としての勇気づけ」になってしまったり。
課題分離が、子どもが困っているときでも、「それはあなたの課題だから」と突き放してしまう形になってしまったり…
そんなことがあるからかも…と思ってます。
せっかく日本の子どもや親御さんや、子育てに関係する人たちのために、アドラー心理学を広めているのに、
誤解されてしまうのは勿体ないな…と私は思います
どうしたらいいのかと私なりに考えました…
今のところの私の答えは
アドラー心理学がテクニックにならないためには、『共同体感覚』を学ぶことだと思います。
アドラー心理学で最も大切だと言われる「共同体感覚」
今日は共同体感覚について学んだことを書いていこうと思います。
アドラーの「共同体感覚」とは?
「他者を仲間だと見なし、自分は共同体(社会や世界)の一部である」と感じること
を指します。
アドラーは、この感覚を育てるために、
次の3つの要素が大切だと説きました。
共同体感覚の3つの要素
① 自己受容
「できない自分」も含めて、ありのままを受け入れること。
ポジティブシンキングとは違い、
「今の自分を使って、どうするか」を考えます
② 他者信頼
裏付けや条件なしに、他者を信じること。
相手を「敵」ではなく「仲間」と見なすことで、
対人関係の恐怖が和らぎます。
③ 他者貢献
「自分は誰かの役に立っている」と感じること。
これが、人間の幸福の源泉となる「貢献感」です。
幸せとは貢献感
アドラー心理学では、
幸せとは「貢献感」であるとされています。
自分がコミュニティの中で役に立っているという実感が、
自己肯定感を育てるのです。
共同体感覚が高い人は、
困難に直面しても
「自分には仲間がいる」
「自分には居場所がある」
と思えるため、精神的に安定しやすくなります。
脳科学的にも合理的
周りが敵だらけだと思うと、扁桃体は常に警戒して過剰にアラートを鳴らし、ストレスホルモンのコルチゾールを分泌してしまいます。
しかし「自分もOK他人も」という自己肯定・他者信頼の状態は、オキシトシン(愛情、幸福ホルモン)が分泌されやすくなり、心が穏やかになり、幸福感が持続しやすくなります。
さらに、オキシトシンは、脳の神経細胞を保護し、記憶力を高める効果があることも分かっているので、いいことがたくさんですね。
【脳内サバイバルモード】(周りが敵だらけ)
扁桃体のアラート ➔ ストレスホルモン(コルチゾール) ➔ 脳の消耗
【脳内ハッピーモード】(自分も他人もOK)
安心感 ➔ 幸福ホルモン(オキシトシン) ➔ 脳の保護・記憶力アップ
つまり、共同体感覚は“きれいごと”ではなく、心(脳)を合理的に安定させることでもあるのです。
共同体感覚は隣人愛に似ている?
共同体感覚を学んで、キリスト教の隣人愛に似ていると思いました。
(キリスト教徒ではありませんし、まだまだ勉強不足ですが、学ぶことは好きです。)
調べてみると、
アドラー はユダヤ教からキリスト教へ改宗していたことを知りました。
「他者を仲間とみなす」という考え方は、キリスト教の隣人愛に似ているように思いました。
けれど違う点があります。
それは――
神様を前提にしていないこと。
自分と周りを肯定したほうが、結果的に自分が生きやすくなるから。
とても現実的な思想です。
信頼と信用の違い
私は最初、「他者信頼」と聞いてこう思いました。
「でも、詐欺や泥棒はどうするの?」
けれど調べてみると、
信頼と信用はまったく別の概念でした。
銀行は担保がなければお金を貸しません。
それは“信用”。
でもアドラーの言う信頼は、
「いろいろな人がいるけれど、まずは自分からOKを出してみる」
ということのようです。
考えてみると、
「〇〇信用銀行」はあっても、「〇〇信頼銀行」はありません。
信頼とは、条件ではなく、
その人の存在をここにいてもいいんだよと、肯定的に見ることのようです😄
*他者信頼と自己防衛はまた別の話です。美味しい話には裏がある、詐欺には気をつけたいものです。近年の詐欺は非常に巧妙ですよね💦
仏教との共通点
アドラーの言う『今、ここ』の源流は、実はお釈迦様、お釈迦様(ブッダ)がもっと昔に発見していたんです。
お釈迦様(ブッダ)は、死後の世界のような「考えてもわからないこと」よりも、
今、この瞬間の心を見ることを説きました。
アドラーも
「いまどう生きるか」。
「こかの社会でどう生きるか」
今ここを生きていました。
アドラー心理学が「西欧の仏教」と呼ばれる理由は、
ここにあるのかもしれません。
だからこそ、
日本人の私たちにはどこか懐かしく、
腑に落ちやすいのだと思います。
それでも、現実はむずかしい
とは言っても、
「そうは言っても
見返りなしに貢献なんてできる器じゃない💦
他人の評価を気にしないなんて無理じゃない」
と私は思っちゃったりします。
今も記事書いてて
『この記事どう思われるんだろう』
と思ってます(笑)
次回は、現実的な着地点について
私なりの現時点の考えを書けたらなと思います😄
お読みくださり、ありがとうございました♡
明日も皆さまにとって、幸せな1日でありますように
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